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2021年12月25日 筑波山
八溝やみぞ山地南端に位置。紫し峰ともよばれる。北は現真壁まかべ郡真壁町、南は筑波町、東は新治にいはり郡八郷やさと町。男体なんたい峰(西峰)と女体によたい峰(東峰)からなる双耳峰で、標高は八七五・九メートル(東峰)。山頂付近を御幸みゆきヶ原といい、東のつつじヶ丘を経て東南の風返かざがえし峠・不動ふどう峠へ続く。筑波男神・筑波女神の鎮座地として信仰を集め(筑波町の→筑波山神社)、その山容は古くから関東の名山として尊崇され、富士山と好対照の山として眺められてきた
"つくばさん【筑波山】茨城県:筑波郡", 日本歴史地名大系, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-01-08)
この週は東北全体に降雪予報が出ていたが、関東一円は晴れ模様。
得に「筑波山」周辺は雲もかかっておらず、絶好の登山日和になっていた。
百名山の中で二峰のみ標高1,500m以下の山が選ばれており、その一つがこの筑波山。
『古事記』『日本書紀』『常陸国風土記』にも記載されており「都久波」「筑波岳」とも呼ばれていた歴史を持つ関東の名山だ。
あまり足の調子も良くはなかったので軽いハイキングにはちょうどいいだろうと思いこの日の遠征地が決まった。
仙台からは常磐道で4時間ほど。久々の長旅になった。
行程
ログ・YAMAP
筑波山徘徊 / kuzumisawaさんの筑波山(男体山)・筑波山の活動データ | YAMAP / ヤマップ
筑波山と大洗観光
10:10 筑波山神社大鳥居
筑波山の麓についた時にはもうすでに10時をまわっていた。
どんなにゆっくり登っても5時間は掛からないだろうから、この時間のスタートでも問題はないはず。
路線は濡れており朝には少し降ったようだが、空には青空が広がっている。
10:32 筑波山神社
筑波山大御堂越しに筑波山が見えた。
東北の山々はもうすっかり雪化粧をしてしまっているが、関東の山はまだまだハイキングにはちょうど良さそうだ。
筑波山神社は筑波男大神を男体山頂に、筑波女大神を女体山頂に祀っている筑波山を神体とする古代山岳信仰から発展した神社だ。
その筑波山神社の裏手から筑波山への登山道が1本伸びている。
10:40 御幸ヶ原コース
筑波山神社から御幸ヶ原まで一直線に登るコースがこの「御幸ヶ原コース」だ。
神社から山頂まで登って行くのは青森の「岩木山」登山を思い出した。
岩木山も岩木山神社から一直線に山頂を目指す「百沢登山道」が伸びている。
ただ岩木山の「百沢登山道」とは違い、道は大変良く整備されており歩きやすかった。
12:16 御幸ヶ原
御幸ヶ原コースをゆっくりと登ってゆくと地元の学生たちが、部活動の一環なのだろうか、駆け上って追い越してゆく。
時々サンタ帽をかぶった人たちも見えたが、あれは地元の登山部員だったのだろうか。
昼休憩を挟みながら登ってゆき1時間半ほどで御幸ヶ原に到着した。
12:41 男体山
御幸ヶ原から関東平野を眺めたあとは筑波山の双耳峰のひとつ「男体山」に向かう。
山岳信仰の山らしく山頂には男体山御本殿が祀られていた。
右に見えるのは筑波山神社と筑波大学の共同気象観測所だ。
どうやら日本初の山岳測候所らしい。
13:00 女体山
男体山から御幸ヶ原を通り、女体山へ。こちらも女体山御本殿が立派に鎮座していた。
女体山からも関東平野一円を眺めることができるのだが、残念ながら関東平野は霧の中に隠れてしまっていた。
下山は白雲橋コースを選んだ。御幸ヶ原コースと比べ岩場が多く、雨の後だと少し滑りやすく注意しながら下ることになった。
ただ奇岩奇景も多く歩いていて飽きず苦にならない。
左の写真はガマ石。長井兵助がこの石の前で「ガマの油売り口上」を考え出したため「ガマ石」と呼ばれるようになったそうだ。
右の写真は「弁慶七戻り」。「石門」とも呼ばれ、古くから聖と俗を分ける境と考えられていた。
名前は今にも落ちそうな岩を見て弁慶が七回戻ったという伝説から。
江戸時代後期の大道芸人。
江戸蔵前にすみ,大道で歯磨きや陣中膏(じんちゅうこう)蟇(がま)の油をうったりした。客寄せのための居合抜きで評判をえた。子孫が明治のはじめまで5代以上同じ芸をつづけたという。"ながい-ひょうすけ【長井兵助】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-01-10)
14:30 下山
ささっと下山し本日の行程は終了。約4時間ほどの山行だった。
ほとんどハイキングだったので疲れは感じなかったが、普段訪れない関東でゆっくりと観光しながら歩けリフレッシュになったと思う。
下山後はドクペで乾杯。
笠間稲荷神社
高橋たかはし町にあり、祭神は宇迦之御魂命。旧村社。社伝によると白雉年間(六五〇―六五四)に胡桃の樹の下に小祠を建てたのが始まりと伝え、胡桃下くるみした稲荷・紋三郎もんざぶろう稲荷ともよばれる。寛保三年(一七四三)藩主井上正賢が社地を寄進、社殿を拡張して祈願所とする。延享四年(一七四七)牧野氏入封後も引続き藩主の祈願所となり、牧野貞長の代に正一位胡桃下稲荷大明神の賜号を京へ上申し、勅許を得る。
"かさまいなりじんじゃ【笠間稲荷神社】茨城県:笠間市/笠間城下/高橋町", 日本歴史地名大系, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-01-08)
日本三大稲荷の一つにも数えられる「笠間稲荷」にも寄った。
稲荷神社は個人的にも思い入れがあるので全国の有名稲荷神社は参拝したい。
日も暮れてしまっていたが人はそこそこいたように思う。
笠間稲荷から仙台まで戻ろうかとICに向かっている途中から、山仲間でありブログにもよく登場している「T氏」から連絡が入った。
どうやら「渓さん」と茨城で壁を登っていたそうな。渓さんの家で宴会が開催されるとのことだったので私もそこに混ぜてもらうことになった。
酒の飲みながら山のことを語ったり「東野登山隊」を見たり、フランスの「CITY HUNTER」をゲラゲラ笑いながら見たりと思い出深い夜になった。
大洗観光
翌朝、こたつから体を無理やりに引っぺがし家を出た。
仙台に戻る前に大洗に寄り、海鮮丼を食べ、大洗磯前神社に参拝し大洗を堪能した。
特にアンコウのあん肝は絶品だった。
次に訪れた際には必ず「あんこう鍋」を頂こうと思う。
普段はあまりしないような山行となったが、思いがけないお誘いで充実した週末になった。
年末の記事は別としてこれでひとまず2021年の活動を閉めたいと思う。
2022年の初記事は年末からの屋久島滝巡り記事になる。
2022年もまたよろしくお願いいたします。