北陸観光

↓前日の記事の続きです

 

2023年のお盆を北陸遠征にしたのは、もちろん白山に登りたかったのもあるが、今まで能登半島が未訪の地であったため。

「千里浜なぎさドライブウェイ」「巌門」「輪島」そして「永平寺」

どこも一度訪れてみたかった観光地。

長距離移動と白山登山で体を休めるために、北陸の景勝地巡りが始まった。

道の駅「のと千里浜」で朝を迎え、千里浜なぎさドライブウェイへ向かう。

 

千里浜なぎさドライブウェイ

 

千里浜

石川県羽咋市南部の羽咋川河口部を中心に、北は滝崎付近から南は羽咋郡宝達志水町今浜へと続く約8kmほどの砂浜の海岸。砂の粒子が細かく砂浜が硬いため、自動車で走行できる砂浜として知られる。海岸沿いにはクロマツの林が広がる白砂青松の景勝地。「千里浜なぎさドライブウェイ」とも。

"千里浜(ちりはま)海岸", デジタル大辞泉プラス, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-11-03)

 

波打ち際を車で走ることが出来る「千里浜なぎさドライブウェイ」

空も白み始めた早朝に海風を浴びながらのドライブが心地良い。

気持ち良すぎたので、まだ人もまばらな海岸を2往復してしまった。

 

巌門

 

能登金剛

石川県能登半島西部の海岸。羽咋(はくい)郡志賀(しか)町福浦(ふくら)から北方の関野鼻(せきのはな)まで、約30キロメートル続く景勝地をいう。日本海の荒波に浸食された奇岩や断崖が続き、能登半島国定公園に属する。名の由来は、景観が朝鮮半島の金剛山に匹敵することから。

"のと‐こんごう【能登金剛】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-11-03)

 

千里浜から輪島に向かう途中に能登金剛と呼ばれる景勝地の「巌門」に立ち寄った。

半島らしい、奇岩の目立つ景勝地だ。

能登金剛は松本清張の「ゼロの焦点」の舞台にもなっており、巌門には松本清張の歌碑もある。

 

輪島朝市

 

輪島

輪島市中東部の旧市。能登半島の外浦のほぼ中央に位置し,日本海に面する。1954年輪島町が周辺6村と合体,市制。人口2万5301(2005)。古くから日本海交通の要地で,近世には加賀藩の奨励による漆器(輪島塗)製造や,アワビ,そうめんなどの特産物で知られた。1935年の国鉄七尾線(のち第三セクターのと鉄道。2001年輪島~穴水間廃止)開通までは,交通不便なため長く発展が阻害されていた。現在は,河原田川(輪島川)河口に市街地が広がり,東部は漆器を中心とする商工業地域となっている。西部では沿岸漁業や水産加工が盛ん。市域の大部分が林野であり,その多くが人工林で,漆器木地として優れたアテ(青森から移植されたもので,ヒバを指す能登方言)や漆の植林が多い。近年は奥能登の観光基地としても脚光を浴びてきており,中でも4と9の日に本町通りで開かれる朝市は人気が高い。このほか,白米(しらよね)の千枚田,景勝の曾々木(そそぎ)海岸(名,天),重要文化財の時国家住宅などの名所がある。白山神社の祭礼(名舟祭。7月31日)のときに打ち鳴らされる御陣乗太鼓は,県の無形民俗文化財。沖合約50kmにある舳倉(へくら)島も市域の一部となっている。

"輪島[市]", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-11-03)

 

能登半島の中心地「輪島」に辿り着いた。

今までの静かさが嘘のように輪島の朝市は賑わっていた。

何も考えずに海鮮でも食べようかと歩いてみるも、どの店は長蛇の列。

諦めて列に並び「朝市さかば」さんでフグ丼を食べる。

これが想像以上のおいしさで驚いた。

満腹になった後は白米千枚田に向かうも駐車場がいっぱいで大人しく引き返した。

 

永平寺

 

永平寺

福井県吉田郡永平寺町にある。山号は吉祥山。横浜総持寺とともに曹洞宗の大本山である。越前にある本山の意より越山(えつさん)とも通称される。日本曹洞宗初祖道元の開創。道元ははじめ,山城宇治に興聖寺を開き,ここで叢林生活を営んでいたが,僧団の拡大や旧仏教の圧迫により,越前に所領を有する覚念や,志比庄地頭波多野義重の招聘を受け,1243年(寛元1)日本達磨宗の徒らを率いて越前に赴いた。はじめ吉峰寺や禅師峰(やましぶ)で門下の指導を行っていたが,翌年7月18日,新造なった寺に入寺開堂し,はじめ傘松峰(さんしようぼう)大仏寺と名づけた。次いで46年大仏寺を永平寺と改称,48年(宝治2)11月1日には,傘松峰を吉祥山と改めた。53年(建長5)道元示寂後は,懐奘,義介,義演と後席が受け継がれたが,三代相論と呼ばれる内部紛争や,97年(永仁5)の火災で法灯や伽藍は衰微した。その後,1314年(正和3)宝慶寺寂円の弟子義雲の入寺によって伽藍は復興され,以後代々永平寺は,中世を通して寂円派の法孫によって一流相続された。72年(文中1・応安5)北朝後円融天皇より〈日本曹洞第一道場〉の勅額および出世道場の綸旨を賜った。1473年(文明5)火災により綸旨および伽藍を失ったが,為宗仲心,金岡用兼,曇英慧応らの募財により伽藍は復興され,1591年(天正19)には出世道場追認の綸旨も下賜された。1615年(元和1)江戸幕府より〈永平諸法度〉が下され,総持寺とともに曹洞宗総本山の規標を立てるに至り,61年(寛文1)には50石,76年(延宝4)には70石が安堵された。江戸期を通じて永平寺住持は,下野大中寺,下総総寧寺,武蔵竜穏寺の3ヵ寺より交代で晋住する関三刹昇住制をとり,幕末まで続いた。永平寺の伽藍は,そのほとんどが近年の建築物であるが,山門,仏殿,法堂,僧堂,庫院,浴司,東司の七堂伽藍が天童山を模して配備されており,宋代叢林の様式をよく伝え,現在も古規にのっとった修行生活が続けられており,また一般参拝者でにぎわっている。境内約10万坪,建物はほかに承陽殿(開山堂),勅使門,不老閣,光明蔵,衆寮,祠堂殿,傘松閣,吉祥閣など70余棟,延べ4500坪を超える。山門は1749年(寛延2)の建造で,後円融天皇の勅額をかかげており,勅使門は天保年間(1830-44)の改築である。寺宝に,道元筆の《普勧坐禅儀》(国宝),《高祖嗣書》,懐奘筆の《正法眼蔵仏性》や1327年(嘉暦2)の梵鐘(重文)などがある。

"永平寺", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-11-03)

 

能登半島から高速道路で一気に南下し、永平寺にやってきた。

以前NHKのドキュメンタリーを見てから、一度は訪れてみたいと思っていた場所だ。

境内に入ると一葉観音様が出迎えてくれた。

この一葉観音を見た時、以前に仏像好きの友人が「永平寺の一葉観音はいつか見てみたい」と言っていたのを思い出した。

 

 

永平寺の中はもちろんドキュメンタリーで見たまんまだった。

回廊式であるため歩いてぐるっと見て回ることもでき、その中で永平寺で修行している僧の方ともすれ違った。

 

拝観時間ギリギリまで永平寺を巡り、北陸観光の一日は終了した。

 

翌日はまた滝巡り。岐阜の嶽谷滝へ向かう。

永平寺から勝山方面へ向かい国道158号で岐阜入りした。

乗鞍岳麓の道の駅「ひだ朝日村」にて就寝。

 

訪瀑MAP
今まで訪れた滝の一覧はGoogleMapでまとめております

 

 

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